せーなの話

日記と作詞とひとりごと

作詞[将来の夢](ビハインド付)

はこちら(記事下部)

 

[将来の夢]

あれになりたいとか

これになりたいとか

好きに言えたあの頃が 懐かしい

私いつの間に こんなに 大人になったのかな

 

即答できる人が羨ましい

私いったい何になりたいの?

何になれるの?

わからない

 

悩んでいる時間は もうない 急がなきゃ

私が今言えることは

私は私になりたい

 

優柔不断な私

才能なんてない私

自信なんて持てない

それでも 私は私

 

できないことを頑張るのは

ただ辛いだけだから

何ができるの?

わからない

 

夢を見てる暇は もうない 現実見なきゃ

私が今言えることは

私は私になりたい

 

10年先も 20年先も

今の私にはわからない どうしているのやら

それでも変わらない

私には夢がある

いつだって私は

私になりたい

私でありたい

 

ここまで来たんだ

生きてきたんだ 私は

私が今言えることは

私は私になりたい

私は私が好き

 

【ビハインド】

小学生の頃は、将来の夢なんて大きな声で言える人が多かったです。全校集会で女優になりたいと宣言していた子もいました。私も、割と大きな声で言えるタイプでした。

ちなみに、小学生の頃はたしか地元の市町村長とか、初の女性総理大臣とかになりたかった気がします。記憶が薄れていて曖昧ですが。小学校の卒業アルバムには、除雪車の運転手になりたいと書きました。あ、別に雪国出身でもなんでもなく、ただ雪が好きなだけです。

いつごろからでしょうか、将来何になりたいと宣言することがなくなりました。周りには、就きたい職業を見据えて進学先を決める人もいましたし、夢なんてないよってただその時を謳歌する人もいました。

私にはいつも、夢がありました。でもあまりにも実現が難しそうでなかなか口に出来なくなっていきました。

でも、有言実行って言葉は本当で、言わなければどんどん遠のいていく気がしました。だからって、大きな声では言えるわけではありません。

夢なんてないと言っていた人たちは、その優れた適応能力を活かして、始めは流れに乗っているだけだとしても、徐々にやりたいことを見つけたり見出したりして生きているように感じました。対して私は、言わないけど夢があるせいで、それが変なこだわりみたいに邪魔をして、言い訳になって、流れに乗ることもできないと思うようになりました。

未だに迷いが多い私ではありますが、どんな時も、私は私というものを辞めたくはありません。私は、生まれ変わっても私になりたいと思えるように生きたい。

私は常に私になりたいと思いたいし、そこだけはぶれません。すなわち、私は私が好きなのです、未来永劫。