せーなの話

日記と作詞とひとりごと

作詞[生きづらい](ビハインドあり)

はこちら(記事下部)

 

 

[生きづらい]

 

道があるなら進みなさいって?

はあ ため息が出る

どんな道でも進めるかどうかは個人差があるでしょ

 

気を抜いたら社会不適合者と言われるから

笑って誤魔化して

努力しようと努力した

 

ああ 生きづらい この社会は

単純なものも複雑にしてくる

どうすれば生きやすくなるのだろうか

少しでも明日が楽しみになるように

私は何を頑張ればいいのか

 

息をするだけで なぜか涙が出てくる

無意識に何度も画面を見て

何度も投げて壊したくなる

 

夢に出てくることまで私を苦しめる

早くこの世から 消えてしまえばいいのに

 

ああ 生きづらい この社会は

いつまでこのまま続くのだろう

過ぎ去った苦しみは一瞬で忘れるから

当然の山の一つとして

消えてくれない この世の中から

 

生きづらさを糧にして

苦しみを力に変えて

大変さを経験と呼んで

何度も流した涙は

本当に必要だったのか

 

ああ 生きづらい この社会に

合わせて生きていく必要なんてない

自由に 新しく 切り開いていけ

頑張りすぎなくていい

そのままで十分だから

ただこの生きづらさに

自分を殺さないで

あなたを責めないでいて

 

【ビハインド】

実は、私は小さいころは優等生だった。今も真面目だと思われがちで、実際も真面目でしか生きられないような融通が利かないところもある人間ではある。ただ、優等生ではないかな。

さいころにリーダーを任されたりテストでいい点取ったりすると、自分はなんでもできると勘違いする。別に、そう思うこと自体は問題ないんだけど、自分ができないことや苦手なことにぶつかったとき、そのダメージは大きくなる。頑張らなきゃって気持ちが止まらないし、できるのが当たり前っていう発想から自分が無能にしか思えなくなる。

歌詞の中にある、「当然の山の一つ」っていうのは、みんなが当たり前のような顔をして乗り越えるものっていうこと。乗り越えた人は、「そんな大変じゃなかった」「簡単だよ」「もっとしんどいこといっぱいある」とか言ってくる。

でも、それって、大変だったことを忘れているだけなのかもしれない。もしくは個人差。高校受験の時、初めてそう感じた。私はしんどいのに、先生は高校受験なんて大変じゃないっていう考え。就職活動でも、ちょっと感じた。みんなはじめは「しんどい」って言うのに、内定をもらった人や先輩は「慣れ」が大事だと言う。まあ、それは間違っていないと私も思うけど、慣れるまでが大変なのに。

私が今大変だと思うことは、他の誰が何と言おうと大変なのだ。みんなにとって簡単でも、しんどいと思うならそれはしんどい。変わらない。

私はMBTIがINFPである。INFPは社会不適合者とネットに出てきた。はじめは少しショックだった。でもだんだん納得できるようになった。そして、社不は社不なりに生きていこうっていうポジティブ(?)な考えになった。生きづらくて当たり前、できなくて当たり前。だから、当然の山も嫌なら避けていいし、自分を責めなくてもいい。

やっと、そう思えるようになった。